行政とブランディングの話をしてもなかなかスムーズに行かない。
もしかしてブランディングとパッケージデザインを混同しているんじゃないのかなと言う気がしてきた。
ブランディングとは消費者の中にそのブランドを核とした精神構造を作ることによって生産者の精神と繋ぐことだ。
その精神構造を視覚化したものがパッケージデザインだったりロゴマークだったりする。
もっと分かりやすく言うと、その商品を本尊とする宗教団体を立ち上げてマインドコントロールするのと同じだ。
教祖は、そのブランドの公益性について最大の確信を持っている人だ。
確信のない所に宗教は成立しないし展開もしない。
展開とはすなわち、その商品に関わる全ての人達の精神的な成長のことだ。
また、それが社会を悪くする公害を齎す宗教なら、どんなに売れる商品を作っても必ず破綻の運命にある。
今はそのサイクルが非常に早い。
ブランドには魔力がある。
その事の意味を知って、謙虚に、したたかに、奢り高ぶる心を無くし、万が一精神が汚染されたら浄化する方法も身に付けた上で取り組む事ができる人だけが、関わるべき事業だとも思う。
私のブランディングの先輩たちは、ダライ=ラマやマザーテレサに教えを請いに行ったりもしている。
命がけの精神修行をしている。
信仰心なき日本人は、ブランドと言うとブランドロゴマーク入りの高額商品の事だと勘違いし、お金持ちが買うものだと思っている。
信仰心のある欧米人は、ブランドとは代々受け継がれて行くべき生産者や技術者の精神性の事だと解釈する。
お金には変えることのできないその精神性にお金を使うことは産業構造的に善であると言う考えがある。
むやみやたらな発展や成長とは無縁の、持続可能な経済のベースにそうした不動の精神がある。
それが普通の感覚だし、だからこそいいブランドで仕事をすることのできる職人さんは幸せなのだし、毎月少ない給料からせっせとお金を貯めて、本当に質の良いものを手に入れる、と言うことが、美しい心がけにも繋がるのだ。
見栄や体裁、金にほだされて、虫食いだらけの日本の大量生産、大量消費の産業構造、なにがおしゃれ?
嘆かわしい事だと思う。
精神性と無関係なブランドなら、そんなものはないほうが世の中のためである。
もしかしてブランディングとパッケージデザインを混同しているんじゃないのかなと言う気がしてきた。
ブランディングとは消費者の中にそのブランドを核とした精神構造を作ることによって生産者の精神と繋ぐことだ。
その精神構造を視覚化したものがパッケージデザインだったりロゴマークだったりする。
もっと分かりやすく言うと、その商品を本尊とする宗教団体を立ち上げてマインドコントロールするのと同じだ。
教祖は、そのブランドの公益性について最大の確信を持っている人だ。
確信のない所に宗教は成立しないし展開もしない。
展開とはすなわち、その商品に関わる全ての人達の精神的な成長のことだ。
また、それが社会を悪くする公害を齎す宗教なら、どんなに売れる商品を作っても必ず破綻の運命にある。
今はそのサイクルが非常に早い。
ブランドには魔力がある。
その事の意味を知って、謙虚に、したたかに、奢り高ぶる心を無くし、万が一精神が汚染されたら浄化する方法も身に付けた上で取り組む事ができる人だけが、関わるべき事業だとも思う。
私のブランディングの先輩たちは、ダライ=ラマやマザーテレサに教えを請いに行ったりもしている。
命がけの精神修行をしている。
信仰心なき日本人は、ブランドと言うとブランドロゴマーク入りの高額商品の事だと勘違いし、お金持ちが買うものだと思っている。
信仰心のある欧米人は、ブランドとは代々受け継がれて行くべき生産者や技術者の精神性の事だと解釈する。
お金には変えることのできないその精神性にお金を使うことは産業構造的に善であると言う考えがある。
むやみやたらな発展や成長とは無縁の、持続可能な経済のベースにそうした不動の精神がある。
それが普通の感覚だし、だからこそいいブランドで仕事をすることのできる職人さんは幸せなのだし、毎月少ない給料からせっせとお金を貯めて、本当に質の良いものを手に入れる、と言うことが、美しい心がけにも繋がるのだ。
見栄や体裁、金にほだされて、虫食いだらけの日本の大量生産、大量消費の産業構造、なにがおしゃれ?
嘆かわしい事だと思う。
精神性と無関係なブランドなら、そんなものはないほうが世の中のためである。
# by mktapestry | 2012-05-02 08:38


