IE9ピン留め
2012 Happy New Year!


明けましておめでとうございます。
友人宅で新年を迎えました。
柿の葉っぱで巻いた「ビンディー」と言う煙草を大阪から来た家主のフェイスブック仲間から頂き、非常に美味しかった。
# by mktapestry | 2012-01-02 22:38
私が原発に反対する理由

二回目の中越沖大震災の少し前に、私はそこの家にあったやたら巨大で存在感のあるお仏壇を、お盆までに掃除して置くよう大家さんから仰せつかっていた。
その時大家さんからそのお仏壇が、極東裁判で死刑を宣告された佐渡出身の英雄、本間雅晴陸軍中将の自宅に安置されていたお仏壇だったと伺った。
本間中将は、かつてフィリピン攻略戦を指揮し、当時の在フィリピン指揮官であったマッカーサーを散々に追い詰めたあげくオーストラリアに撤退させた軍事実績があった。
この敗戦はマッカーサーの軍歴の最大の汚点だったため、マッカーサーは終戦後、本間中将を許さなかった。
あたかも恨みをぶつけるようにして、本間中将をフィリピンにて戦犯裁判にかけ、出来る限り本間の人格を矮小化することに勤めたあげく死刑にした。
裁判では家族も参考人として事情聴取され、本間がいかに非人間的な、矮小な男であったかがアメリカ軍から言い渡された。
それを聞いてどう思うかと問われた妻は、たった一言、「彼を誇りに思っています。生まれ変わってもまた子どもたちの父親として生まれて来て欲しい」と、毅然として法廷で言い放ったと言う。
どれほどアメリカ軍から貶められようと、人としての誇りを失わなかった本間中将とその家族の姿に、傍聴していたロシア側の人々も心洗われ涙を流したと言う。
マッカーサー及びアメリカ側は、この裁判での、一日本軍人の姿に激しい妬みと屈辱を覚えたに違いない。
日本に二度と戦争をさせていけないと考えたアメリカは平和憲法を日本に与えた。
それは平和を尊く思う正しい気持からではなく、実際にはフィリピンの軍事戦で日本軍に敗北した事実を断じて認めたく無い修羅の気持からである。
広島、長崎に原爆を投下したのは、戦争に勝つ為ではなく既に敗北していた事実を被い隠すことで人類を騙す企てを起したのである。
この時点で日本は、戦争と言う悲惨な人類のドラマそのものを乗り越えるための、内的戦い、次元跳躍の戦いへと「戦い」の意味を変更させた。
相対してアメリカは、もはや戦争無しでは国家運営が維持できない泥沼の状態に陥ってしまった。
この修羅の怨念に染まった平和憲法を正しく平和の為に活用するには、どのようにすれば良いのだろうかと考えて、私は震災のあった朝、静寂に包まれた畑で祈っていた。

震災の後、柏崎の刈羽原発では何度も火災が起きた。
この火災が私に示唆したものは、原発は人間には管理できないと言う具体的な啓示である。
当時新潟日報が、反原発派の明確な主張を毎日掲載してくれていた。
「事故が起きた時、誰が責任を取るのか」。
脳裏を過ったのはチェルノブイリ事故である。

何度目かの火災の後、IAEAが視察に訪れた。
その時インタビューに答えたIAEAの人が、「スシが旨かった」と取材に答えて言った。
その軽口に対して私は「侮辱を受けた」と感じ猛烈な怒りが涌いたけれども、そう言った軽々しい扱いを受けるだけの態度を新潟県の原子力関係者はとったのかもしれない、とも考えた。
もっと原子力についての正しい情報を知らなくてはいけないと考えた私は、推進派、反対派、中立派を含めて、さまざまな立場の方の原発に関するブログを読んで勉強した。

ある時私はネットで、原発推進と見られる方の反応を知りたくて、いくつかの疑問のコメントを書き込んだ。
チェルノブイリ事故のような事が起きた場合、誰が責任を取るのかを教えて欲しい、と言う内容だった。
それに対する答えが、「ありえない。余計な事を考えなくていい。」と言うものだった。
この思考停止のカルト宗教の信者のような状態を、私は非常に恐怖に感じた。
このままでは間違いなく事故が起きると考えたので、ツイッターでそれらの意見をつぶやくことにした。
世間には、結構正しい事を考えてがんばっている人たちがいるんだと言う事を知り、生きる希望や勇気が涌いて来た私は、少しづつ気持が安定して来た。

同時に、その時私の家族を襲っていた教育現場における問題点の中に、原発問題に見られる問題点と全く同じ性質の問題を過今見る事ができた。
このような、邪なる思想の信仰による、思考停止の在り方を治癒しながら、「前向きに物事を考える」心の姿勢を回復させなければ、この国はみすみす地獄の運命をたどることになる。
アメリカと同じ様に、他人に媚びへつらう、嫉妬深くて競争心の激しい、歪んだ精神を持つ人間を大量生産するような日本の教育現場から、まず変革を起さねばならないだろう。
他人に勝つ事だけを目標にするような心ない生き方ではなく、思いやりや、分かち合いや、励まし合い、慈しみ合うことをベースにして、正しく人として生きようとするまっすぐな心を持つ子どもたちほどいじめ等の迫害を受け、集団から排除されると言うような、本末転倒の悲劇が行われない様にしたい。
同時に、未来を担うこの子たちの力添えができる、ちゃんとした大人にならなくてはいけない。

私が原発に反対する理由は、賛成する必要性がなに一つないからである。
あると言う人は教えて欲しい。

人に正しくものを教えると言う事が可能ならばの話であるが。

(続く)


# by mktapestry | 2011-09-19 11:43
心の居場所
「原発は必要」「放射能なんて気にすることない」「放射能の被害なんて気にし過ぎ。そんなこと考えなくたっていい」「政府が大丈夫と言うんだから大丈夫」そんな、なんの裏付けもない念仏のような言葉を聞くたびに、その人が、何か大きな力を後ろ盾にして思考停止に陥っていることを知り、深く傷付く感覚がある。
その人は嫌いじゃない。
でもその人に取り憑いている、「大きな物には巻かれていろ。」的な空気は、明らかに周囲の人の心をめちゃめちゃに傷つけている。
その人はおそらくその事に対して何ら意識することはないのでしょう。

「政府は酷い」「原発は要らない」「放射能は怖い」そういう言葉を聞くと、心はそこに居場所があることを自ら知るのか、呼吸がとても楽になる。
どっちの言葉に心が寄り添っているか、心と身体で判断できると思っていた私が甘かった。
この国の多くの人が、身も心も、大きな物には巻かれようと言う思想でもって、深く、やられているのである。

悲しいかなこの国には、お上に反する様な事を言うまいと必死に努力する人たちが、白を黒と平気で言う風潮があり、またそれをご丁寧にも擁護する人々までいる。
その多くは個人ではなく、何かバックがついていて、そのバックからさまざまな形の見返りを保障されているわけだ。

ある時スーパーで買い物をしようと食品の棚を見上げていて、ふいに涙が溢れて来た。
家庭の主婦なら誰だって、スーパーに足を運びながら、そこでたくさんの食品を選びつつ、家族の笑顔を思い浮かべた事だろう。
そんなささやかな、平凡な日常風景を、彼らはどう思っているのだろう。

どんな思いで、人がその日常をつかみ取ったかを知ればいい。
# by mktapestry | 2011-09-06 23:11
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